花瓶の花
友達編
急ぎ足で人込みを掻き分けて歩くことがこんなに大変だと初めて痛感した。
間をぬって行こうとしても、割込んだ僕の前には逆へ向かう人がいる。
こんなことなら少し待っても電車に乗れば良かったと心の中で舌打ちをした。
それでも何とか目的の病院にたどり着いた。
ずっと寝たきりだった理彩が目を覚ましたと病院から職場に連絡が入ったのだ。
あまりにも慌てていたので、エレベーターのドアにぶつかってしまった。
エレベーターが降りてくるまでの間に、何度も階段で上がる事を考えたが
先程そ
のせいで時間をロスしてしまったので我慢する。
漸く開き始めたドアを無理矢理こじあける様にしてエレベーターに乗り込む。
ゆっくりと上がっていくことにすら苛立ちを感じていることに気付いて
大きく深
呼吸した。
扉が開くと同時にさっと走り出す。
小学生くらいの男の子が不思議そうにこちらをみていたが今は気にしている場合
ではない。
僕は迷わずに病室の扉を開けた。
そこにはベッドの上に上半身を起こして窓の外を見て居る彼女がいた。
「理彩…! 」
僕は嬉しくて彼女を抱き締める。
理彩は何も言わず、ただぼうっと外を見ていた。
僕は取り敢えず離れると、ずっと握り締めていたお見舞いの花を花瓶に生けなが
ら
他愛も無い事を話した。
「そう言えば立野が凄い仕事を任されて…。」
そう言いながら彼女の顔を見る。
ざわっと胸がざわついた。
それまで機械の様だった彼女がその名前を聞いただけではた はたと涙を流した。
酷く 美しくて。
窓からの光より 輝いて見えた。
透けて 僕の前から消えてしまうのではないか。
そう思って彼女の顔を覗き込むと、
「そこに 居たのね…ずっと探してたの。」
と 微笑んだ。
僕はただ
美しい絵画を見ているような心地になった。
彼女は確かに僕を見ているのに、僕に…僕の存在に全く気が付いていなかった。
此処にいる誰かに笑いかけ、語りかけているのだ。
僕はそっとその場を離れて病室を後にした。
込み上げてきた悔し涙を必死で堪えながらエレベーターに乗り込む。
その日から僕は彼女の病室を訪ねなくなった。
そのかわりに、あいつに見舞いに行くように促した。
苦い想いだけがまだ燻っている。