花瓶の花
小学生編
何時ものように病室を抜け出した。
今日は何処へ行こうかと思考を巡らせる。
これだけ広い場所なのだからベッドに寝ていてはもったいない。
親も五月蠅い家庭教師も居ない、此処では僕は自由なんだ。
僕はさっとエレベーターに乗り込むと気まぐれに5階のボタンを押した。
どんな人がいるんだろう。
エレベーターがふわりとのぼって行くと同時に
僕の気持ちにもむくむくと楽しさが湧き上がって来た。
扉がスッと開く。
そこは今まで見たどの階よりも静まり返っていた。
この階には患者がいないのだろうか?
不思議に思いながら僕は廊下を歩いた。
僕の身長では扉の窓から中を覗き込むことは出来ない。
今まで見て来た所はどこも扉は開けたままになっていた。
しかしこの階の病室は
どこもきっちりと閉まっている。
ちぇ つまんないの。
他の階へ行こうともう一度エレベーターの所へ戻ると、
青い顔をした男がエレベーターを降りて走っていった。
僕はすかさず男の行く先を見守った。
男は真直ぐ迷う事なく廊下の右から6番目の部屋へ入った。
やっぱり患者居るんだ。
そう思って僕はエレベーターの前の休憩スペースで男が出て行くのを待った。
15分ほどたった時に扉が開いて来たときより血の気のない顔をした男が出て来た
。
あいつの方が入院するべきではないか? と思いながら男がエレベーターに乗り込
むところを見送った。
さて、行きますか。
僕はさっと立ち上がると男の出て行った部屋の前に立った。
初めて他人の病室の扉を開けるので、手にじわりと汗をかいている。
お邪魔します。小さい声でそう言って開いた扉の隙間から素早く病室へ入る。
僕は一瞬動けなくなった。
怖かったとか何かに驚いたというわけではない。
そこに居た女の人があまりにも綺麗だったのだ。
女の人はベッドにペタンと座り、開け放たれた窓の外をじっと見ていた。
僕の所からは横顔しか見えないのに女の人が見た事の無いくらい美人であること
が分かった。
女の人はゆっくりとこちらを振り返った。
そしてふわりと笑った。
僕は嬉しさと恥ずかしさと恐ろしさに駆られて病室を逃げ出した。
走ってエレベーターに乗ろうとしたけれど、
この階に着くには時間がかかりそうだったので隣りの階段を一気に駆け降りた。
顔がカッと赤くなり心臓は苦しいくらいに波打った。
絵画のような光景だった。
花瓶に飾られた花ですら、女の人の引立て役でしかなかった。
そんな人が僕に微笑んだのだ。
2階の自分の病室へ駆け込んだ時には全身が心臓になったかの様に鼓動が響いた。