*金木犀*
強く吹いた風にふと金木犀の香りを感じて立ち止まる。
甘いようなその香りで僕が連想することは独りぼっちの部屋の中。
まだ実家にいた頃に近所にあった丸い金木犀は強い香りで存在を主張して、子
供心に妬みを覚えた。
このことを今の彼女に話してみたことが一度だけあった。彼女は
「独特ではあるけれど、私は好きだな。少し寂しくて悲しい気持ちになるけれ
ど...」
と笑いながらそれでも何処か遠くを見つめてい答えた。
その時にはよく分からなかったけど、今は少しだけ分かるような気がした。
僕が恋を初めて自覚した時もこんな風に強い秋風と共に運ばれてくる
金木犀の
香りを感じていたころだった。
僕は初めて同じクラスの女の子に告白された。
華奢で可愛い女の子だった。
男子の間でそこそこ人気ではあったが性格が少し内気だったこともあり、
あま
り男子と話しているところを見たことがない。
そのころの僕は恋というものを全く理解してはいなかった。
合わなければ別れればいいことだし。と軽い気持ちで彼女と付き合った。
付き合ってみると、明るくて、とても気が利いて賢いということが分かった。
ただ、少し人見知りをするというだけらしい。
僕はどんどん彼女に惹かれた。
「初恋」だった。
おかしな事に、僕と話すようになってからというもの、
彼女が明るくなったと
他の男子に人気がではじめた。
僕はちょっと誇らしい気持ちになった。
彼女が他の男子を話すようになった。
僕等の付き合いは登下校と偶のデートのみ。と言うのも、僕は野球部に入って
いたからだ。
彼女は写真部で週に3回練習がある僕とちがい、
殆ど部室に顔を見せなくてもよ
いらしく、登下校といっても僕が部活のある日は彼女は先に帰っていた。
そんな時、彼女に呼び出された。
「別れて欲しい。」
その一言で僕の思考は停止した。
他に気になる奴ができたらしいのだ。
彼女が離れていくわけがない、そう確信していた僕がどれ程馬鹿だったかこの
時に思い知らされた。
離れられなかったのは僕の方だった。
やっとの思い出口にしたのは「別れたくない」という僕の一方的な思いだけだ
った。
彼女はそんな僕を必死で説得した。
僕は耳を貸さなかったけれど。
その日の内に話はまとまらず、別々に家路についた。
その途中、絶対に別れるものかと変な決意をした。
翌日はこの時期には珍く台風が近づいてくるということもあり、風がとても強
かった。
中庭で彼女を見つけた。
頬を赤く染めて恥ずかしそうに笑う彼女を。
僕はその場に立ちつくした。
彼女のあんな顔、見たことがなかったから。
彼女の前には一人の男子生徒がいた。
別のクラスなのだろう。見たことはあるものの名前は知らない。
ただ、いつ見ても笑っている奴だということは知っていた。
その日僕は、電話で彼女に別れを告げた。
直接言えば、泣いてしまいそうだったから。
金木犀の花が、路上で降り始めた雨に打たれて泣いていた。
金木犀の花言葉は「初恋」。
初恋は実らないものが多いという。金木犀もまた、此処日本では実を付けない
らしい。
と彼女が話してくれた。私の初恋は実ったよって笑ってくれた。
その時僕はなんて答えた?
彼女の笑った顔が滲んでゆく。
雨に打たれて、僕はただ歩いていた。家に向かって歩いていた。
顔に当たる雨が気にならなかったのは既にその時には僕は濡れていたから。
彼女も涙を流したのかは分からない。
ただ、別れて暫く、何時も笑っていた彼奴の隣で笑う彼女の姿は無かった。
僕は今、金木犀の様な恋は卒業した。
同時にあの頃の一直線な気持ちも失った。
それでも金木犀はあの頃と変わらずにあの香りを漂わせている。
金木犀の香りに感じる思いが少し変わった気がした。